大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和49年(オ)1073号 判決

旧商号

茨城石炭商事株式会社

上告人

株式会社 茨石

右代表者

宇野一夫

右訴訟代理人

中井川曻一

被上告人

美留野清

外二名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人中井川曻一の上告理由について

使用者が、その事業の執行につきはなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被つた場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。

原審の適法に確定したところによると、(一)上告人は、石炭、石油、プロパンガス等の輸送及び販売を業とする資本金八〇〇万円の株式会社であつて、従業員約五〇名を擁し、タンクローリー、小型貨物自動車等の業務用車両を二〇台近く保有していたが、経費節減のため、右車両につき対人賠償責任保険にのみ加入し、対物賠償責任保険及び車両保険には加入していなかつた、(二)被上告人美留町清は、主として小型貨物自動車の運転業務に従事し、タンクローリーには特命により臨時的に乗務するにすぎず、本件事故当時、同被上告人は、重油をほぼ満載したタンクローリーを運転して交通の渋滞しはじめた国道上を進行中、車間距離不保持及び前方注視不十分等の過失により、急停車した先行車に追突したものである、(三)本件事故当時、被上告人清は月額四万五〇〇〇円の給与を支給され、その勤務成績は普通以上であつた、というのであり、右事実関係のもとにおいては、上告人がその直接被つた損害及び被害者に対する損害賠償義務の履行により被つた損害のうち被上告人清に対して賠償及び求償を請求しうる範囲は、信義則上右損害額の四分の一を限度とすべきであり、したがつてその他の被上告人らについてもこれと同額である旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、右と異なる見解を主張して原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(岸盛一 下田武三 岸上康夫 団藤重光)

上告代理人中井川曻一の上告理由

第一点

一、本件において、被上告人美留町清の不法行為(第一、二審が認定したところによれば被上告人美留町清の適当な車間距離の保持義務違反及び前方注視不十町の過失に起因する)に基く上告人から被上告人等に対する損害賠償請求は、正当な権利の行使であるからこれが全面的に認容されるべき筋合である。然るに原判決は、その理由中第三項末尾七行において上告人が本訴において請求した損害賠償金額および求償金額のすべて(合計四一万一、〇五〇円)を「上告人において一応請求し得べき地位にあるものというべきである」旨認めながら、それにも拘らずなお、理由第四項の(四)において、「上告人の業務内容及び経営状態、被上告人美留町清の右会社内における仕事の内容、本件加害者に乗務するに至つた経緯、勤務態度及び給与、並びに本件事故の態様、右事故における被上告人美留町清の過失の内容及び程度、上告人が任意保険に加入してなかつたこと、その他諸般の事情を勘案すると、上告人の請求は四分の一を超える限度についてはいずれも信義則に反し権利の濫用として許されない。」と判断して、上告人の請求を一部排斥した第一審判決を是認した。

二、然しながら、そもそも権利濫用とは権利の社会的経済的目的あるいは社会的に許容される限界を逸脱した権利の行使であるとされ、権利の行使は権利者個人の利益と社会全体の利益との調和において行われるべきであり、従つてこれが調和をそこなう場合に権利濫用とされて法律効果が付与されず或いは違法性を帯びるものとされるのである(注釈民法一巻八九頁)。さて、権利の行使が権利濫用となるための要件は、権利が存在しこれを権利者が積極的、消極的行為によつて行使した場合に、それが濫用に値する違法性を帯びる場合でなければならないとされている(例えば末川博・権利濫用の研究四〇頁)。然らば権利が行使された場合に如何なる事情が当事者間に存在すれば権利の濫用とすることができるのであろうか。判例は大体において加害意思、加害目的、公序良俗違反、社会観念、法律感情、権利感覚、権利者における正当な利益の欠缺、相手方その他第三者への加害、社会経済上の損失等を基準として濫用の成否を判定している(末川・権利濫用の研究一〇以下)。最高裁昭和三一年一二月二〇日判決(民集一〇巻一二号一五八一頁)も「もし権利の行使が社会生活上到底認容しえないような不当な結果を惹起するとか、あるいは他人に損害を加える目的のみでなされる等公序良俗に反し道義上許すべからざるものと認められるに至ればここにはじめてこれを濫用として禁止する」と判示してこれまでの権利濫用の判定基準を踏襲しているのである。

三、ところで本件において、不法行為によつて損害を蒙つた上告人が、加害者たる被上告人美留町清並びに他の被上告人両名に対し損害の賠償を求めるのが右の権利濫用となるための判定基準に果して合致すると言えるであろうか。およそ私有財産制度下において使用者が被傭者の一方的な過失によつて財産的損害を蒙つた場合、当該不法行為に基く損害賠償請求をすることが、社会生活上とうてい認容できぬ不当な結果を惹起するものであるとはいえないし、又被傭者に損害を蒙る目的のみでなされる公序良俗に反する道義上許すべからざる行為であるとも到底認められない。このことは自動車を利用する事業活動を行う使用者が事故発生の危険に備えて予め強制保険の外に任意保険に加入してるか否かによつて結論を異にするものではないと信ずる。元来任意保険とは「自主」保険に外ならず、制度的に自主保険としてるものを裁判所の判断で事実上強制保険であるかのごとき取扱いをすることは制度を恣意的に逸脱することとなるであろう。本件の如き場合に上告人が使用者(前記した状態の)であるの故を以つてこれが賠償請求権の行使もしくは求償権の行使を権利濫用というのであれば使用者と名のつくものは被傭者のいかなる不法行為に対しても損害の填補をなされることがないという、不当甚だしい容認できぬ結果を招来するといわなければならない。

さらに原判決が理由として掲げる上告人の業務内容、経営状態については、もし業務内容という意味が「自動車を利用する業務内容」を指すものと解するとするなら、現今の企業がその大小及び業種を問わず多かれ少かれ自動車を利用して業務を遂行しているのであるから、そのことだけで権利濫用の成立要件を説明しきれるものではない。又経営状態についても、これを経営状態の良否と解するとするなら、それは現代において大小を問わずすべての企業の経営状態がつねに変転極まりのないとの事実を忘れた見方であるのみならず、これを以つて権利濫用の成否を判定する資料とすることは、経営状態の良否によつて、従業員の不法行為に対する賠償請求があるいは権利濫用として排斥され、あるいは正当な権利行使として認容されるという不当な結果を招来することになる。

以上要するに原判決は上告人の被上告人等に対する不法行為に基く損害賠償請求権および求償権の行使を何らの正当な根拠もなく「権利濫用」の名の下に排斥したものというの外はなく、結局民法第一条第三項の解釈を誤つた違法があり、もしくは明確な判断基準を示すことなくみだりに同条項を適用したものであつて、理由不備の違法あるものといわざるを得ない。

第二点

一、次にそもそも不法行為によつて発生した一定の損害賠償請求権および求償権の行使を権利濫用として原判示の如く「四分の三」というような割合的比率を以つて一部排斥することが許されるであろうか。けだし権利は権利者個人の利益の保護と同時に社会全体の向上発展のために認められるものであるから権利の行使は権利者の個人的利益と社会全体の利益との調和において行われるべきものであるところ、右の比較衡量の結果あるいは相当とされ、あるいは違法とされる二者択一的性質を内在的に有しているものだからである。換言すると一個の事象を原因として権利が一たん発生したと判断された場合に、それに拘らずその一定範囲につきこれが行使を制限できると判断することは、当然客観的に明白な基準根拠が存在しない以上許されないと考えられる。しかるに原判決の示した如く四分の一の限度で上告人の権利行使が認容され、その余四分の三については排斥を受けるというのは、果して如何なる法律根拠に由来するのであろうか。明確な基準なくかような割合的比率による制限がなされるとすれば、それは裁判所の恣意的な「場当り」ともいうべき判断とならざるを得ないであろう。かかる恣意は法律生活の安定を害し制度の客観性を失わしめるものであつて、固より法の正当な運用を期する所以ではない。

二、よつて、原判決はこの点で判決に十分な理由を付せず、もしくは理由に重大な欠陥を有するものといわざるを得ないと同時に又民法第七〇九条、第七一五条の解釈適用を誤つた違法が存するものである。

以上いずれの点からみても原判決は違法であつて破棄を免れないものと信ずる。

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